石破茂の人生を変えた「田中角栄」言葉のチカラ

言葉と振る舞いで周囲を鼓舞する「人心掌握の鬼」
真山知幸 2024.12.30
誰でも

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田中角栄は飲みの場でどう心をつかんだか

 早いもので今年ももう大晦日である。毎年、年末年始が近くなると、忘年会や新年会など会社の飲み会をいかにして断るか、ということがSNSで話題になったりもするが、昨今はむしろ「忘年会に参加したい」と考える人も増えてきているようだ。

 法人向けフードデリバリーサービス「くるめし弁当」を運営する株式会社くるめしが、運営サービス「くるめし弁当」「シェフコレ」の会員を対象に、「会社の忘年会に関する調査」を行ったところ、75.7%が「今年、会社の忘年会に参加予定」と回答。「職場の人とコミュニケーションをとりたい」「良好な関係構築のきっかけを作りたい」といった参加の理由を挙げたという。

 「アルハラ」が問題視されるなかで、酒を強要するような上司も絶滅危惧種となり、お酒が得意ではない人も、会社の飲み会に参加しやすい雰囲気になっているのかもしれない。

 飲みの場をうまく活用することで、支援者を喜ばせたのが、田中角栄前首相である。集会所では、一升瓶からコップか湯呑みに酒を注いで、車座を作ると、早々とネクタイをはずしてしまう。ランニングシャツ1枚のときも珍しくなかったという。

「さあ、さあ、年寄りが世話になるのう」

 そういってニコニコと談話するのが常だったという。庶民に近い目線から「今太閤」「庶民宰相」ともてはやされた角栄らしい振る舞いだ。

 また、村々を回っているときのことだ。地元のお年寄りが、角栄の好物と知って、鮭の頭と大根の煮物の差し入れを持ってきた。すると、昼食の直後でも、その場ですぐに平らげたというから、支援者も嬉しかったことだろう。

 そんな地道に支援者の輪を広げた角栄は、ある新人の政治家に、こんなアドバイスをしたことがある。

歩いた家の数しか票は出ないんだよ。握った手の数しか票は出ないんだよ」

 自分の足で地元を歩き、人々の話に耳を傾けながら交流する。遠回りのようでいて、それが選挙の王道だと角栄は考えていたようだ。

 そんな教えを実践したからだろう。アドバイスされた新人は、1986年の衆院選で初当選を飾る。そして、そこから38年の月日が過ぎた2024年、ついに角栄と同じく内閣総理大臣にまで上り詰めることになる。

 石破茂、その人である。

父から「政治家だけはやめろ」と言われた石破茂

 石破金太郎――。

 当初、父の二朗は息子にそう名づけたかったという。母の和子が「『ヤーイ、金太郎』といじめられたらどうするんですか」と強く反対したため、父はお気に入りの「金太郎」の名を断念。それならばと、「吉田茂」から「茂」の名をとって、石破茂と名づけられることになった。

 「総理・石破金太郎」もなかなかの迫力だが、戦後に5度にわたって日本のトップリーダーを務めた元首相・吉田茂が名前の由来だったことが、総理の座を引き寄せたのかもしれない。

 父の二朗は建設事務官を務めていたが、石破茂が生まれた翌年の1958年には、鳥取県知事に就任。石破は1歳で東京から鳥取へと転居することになった。

 鳥取大学附属小学校、中学校に通い、1972年には慶應義塾高校に進学。大学進学時には法学部を選択し、慶應義塾大学法学部法律学科を卒業後に、三井銀行へ就職している。1979年のことである。

 なぜ、銀行だったのか。鉄道が大好きだった石破はもともと、日本国有鉄道への就職を希望していた。だが、父から「あれはもうすぐ潰れるんだ。潰れる会社に行く馬鹿がどこにいる」と反対される。

 ならばと、同じ交通系である全日空や、本も読むことも文章を書くことも好きだったので朝日新聞やNHKへの就職も考えるも、結局は父の「銀行は誰にでも会える素晴らしい仕事だ」という言葉にしたがい、銀行へ入行することになった。

 父にいろいろと就職先に口出しされてしまった石破だが、なかでも強く止められたのが政治家だったという。

「絶対になるな。お前みたいに人のいい奴に務める仕事ではない。お前は俺と違って苦労をしていない。政治家になっても大成しない」

 銀行員生活をスタートさせた石破茂。政治とは無縁の一生を送る……はずだった。

角栄の言葉から始まり総理まで上り詰めた

 だが、入社3年目に父を亡くすと、24歳の石破は政治の世界へといざなわれることになる。何も、政治家になることを反対していた父がいなくなったからではない。父が心から尊敬していた田中角栄から葬儀後に「選挙に出ろ」と突然、言われたからだ。

 石破茂が「私は24歳の銀行員で、国会議員になる器ではありません」と慌てて答えると、角栄からは、こんな言葉をかけられた。

「いいか、よく聞け。政治家ほど面白い仕事はないぞ。そして、日本で起こるすべてのことはこの目白で決めるんだ」

 角栄の強烈な後押しで、石破茂は銀行を退職。田中派の木曜クラブ事務局に務め、選挙についてよく学んでから、1986年の第38回衆議院議員総選挙に挑んでいる。

 自由民主党公認で鳥取県全県区から出馬したところ、得票数は最下位だったが、4位で初当選を果たす。当時29歳と全国最年少で衆議院議員となった石破。こんなふうに決意を語っている。

「全県歩いてきましたし、やっぱり人知れぬ苦しみ悲しみがあるはずなんです。それをこれから先も歩いていって、それを中央にぶつけたい」

 その後、12回連続で衆議院選挙で当選を重ねて、2002年に防衛庁長官として初入閣を果たす。2008年に総裁選に初めて立候補してから、4度の挑戦を経て、5度目となった2024年の総裁選挙で総理の座を射止めることとなった。

 それらのすべてが角栄の一言から始まったと思うと、言葉の力というのはすさまじい。結果的には、石破茂への父の「政治家になるな」という言葉はスルーされることになったが、角栄のプッシュとあれば、亡き父も異論はないだろう。

 石破茂の父・二郎は、鳥取県知事4期目の途中で、角栄から「参議院選挙に出馬してほしい」と頼まれたときがあった。二郎としては断りたかったが、そうもいかなかったようだ。息子の石破茂にこんなことを言ったという。

「鳥取県の県民所得があっというまに上がったのも、小さな県なのに空港が2つできたのも、あっという間に道路の整備率が中国地方第1位になったのも、田中のおかげなんだ。俺が困った時には田中が助けてくれた。その田中が頼むというなら、俺は断れないんだ」

 二人の結びつきの強さが感じられる言葉だ。二郎は参議院選挙に出馬して、65歳で初当選を果たしている。

相手の心を開く角栄の言葉と人心掌握術

 田中角栄ほど名言集が出ている人物はそうそういないだろう。死後も影響力が衰えることなく、それどころか混迷の時代を迎えて、より人々の心に響いているようだ。

 石破が政治家になることを反対した父から「お前は俺と違って苦労をしていない。政治家になっても大成しない」 という言葉があったが、自身のことだけではなく、角栄の前半生もその脳裏に浮かんでいたに違いない。

 角栄は雪ぶかい新潟の寒村に生まれて、貧しい幼少時代を過ごしたため、学歴も低かった。大蔵大臣に就任したときには、官僚たちを目の前にして、そんな境遇をつかみに使った自己紹介をしている。

「私が田中角栄だ。ご承知の通り小学校高等科卒だ」

 官僚たちも呆気にとられたことだろう。そのうえで、さらにこう続けている。

「諸君は天下の秀才ぞろいで、財政のエキスパートだ。しかし、私は素人ながらトゲの多い門松をくぐってきたので、実地の仕事の要領は心得ている」

 エリートたちに卑屈にならず、堂々とした態度で臨んだ角栄。その一方で、官僚たちの入省年次、学歴、誕生日、家族構成まで調べ上げ、ケタ外れの祝儀や贈り物で人心を掌握している。

異様なスピード感で物事を決めた

 また、角栄が石破に政治家になるように説得した言葉に「日本で起こるすべてのことはこの目白で決めるんだ」というものがあったが、これも決しておおげさではない。なにしろ、角栄は物事の決済が異様に速かった。来客が政治家だろうが、財界人だろうが、よほどのことがない限り3分以内に「イエス」「ノー」の結論を出し、話を終わらせたという。

 秘書に「もう少し、じっくり話を聞いてやればいいじゃないですか」と言われて、答えた角栄の言葉がこれだ。

「どんな話でも、ポイントは結局一つだ。そこを見抜ければ、物事は三分あれば片付く」

 大切なことほど、「時間をかけたほうがよい決断ができるんじゃないか」と、ついつい結論を先延ばしにしがちが。そんなときに、この言葉を思い出せば、実行力を磨くことができるだろう。

 なにより相手を待たせない、というのがよい。角栄が「時間泥棒」とは対極にいたことは、現代のビジネスパーソンにとって、大いに参考になるのではないだろうか。

 社交の場では飾らず相手と同じ目線で一緒に楽しみ、若き人材を奮起させながら、時には自分の弱みも晒して、相手の胸襟を開かせる――。それていて決断と実行が異様に速い、となれば、角栄に人気が出るのも当然のことかもしれない。

 角栄を師と仰ぐ石破総理の動向に注目しつつ、角栄のスタイルから取り入れられそうなものは、実践し、2025年はさらに充実した1年にしていこうではないか。

【参考文献】

石破茂、倉重篤郎編『保守政治家 わが政策、わが天命』(講談社)

小林吉弥『田中角栄 処世の奥義』(講談社)

真山知幸『偉人メシ伝』(笠間書院)

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【著者プロフィール】

真山知幸(まやま・ともゆき)

1979年、兵庫県生まれ。2002年、同志社大学法学部法律学科卒業。上京後、業界誌出版社の編集長を経て、2020年独立。偉人や歴史、名言などをテーマに執筆活動を行う。『ざんねんな偉人伝』シリーズ、『偉人名言迷言事典』など著作40冊以上。名古屋外国語大学現代国際学特殊講義(現・グローバルキャリア講義)、宮崎大学公開講座などでの講師活動やメディア出演も行う。最新刊は 『偉人メシ伝』 『あの偉人は、人生の壁をどう乗り越えてきたのか』 『日本史の13人の怖いお母さん』『逃げまくった文豪たち 嫌なことがあったら逃げたらいいよ』(実務教育出版)。「東洋経済オンラインアワード2021」でニューウェーブ賞を受賞。 X: https://twitter.com/mayama3 公式ブログ: https://note.com/mayama3/

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